ネズミ

がちでじっとりとした気候だった。街灯がぽつぽつと点いても、なんとなく見晴らしが悪い夜。駅から自宅まで歩いていると、斜め前を歩く背広姿の男が急にこちらを振り向いた。ふと、遠くで聞き慣れぬ音が聞こえた。
(あ゙おっ)
 音が聞こえると、斜め前の男がまた振り向いたので、ははあ、この音が気になってんだなぁと思った。
 最初は、どこかのマンションの上階の部屋で、大型犬が吐き戻してるような音に聞こえた。帰宅路の緑道を歩いても、音は近づきも遠ざかりもせず(あ゙おっ)と聞こえる。うしがえるの鳴き声だと気がついた。
 自転車用のスロープの脇でネズミを見つけた。面白がって追いかけると、逃げ場を失って右へ逃げ、左へ逃げ、植え込みに飛び込んだ。ネズミを追いながら、後ろを通り過ぎる人を目の端で捉えた。赤いジャンパーを着たおばさんが口に手を当てて、咳込んだ。


 あ゙おっ。


 へ? と思って振り向くと、おばさんと目が合い、不審な目つきで歩き去った。すると今度は遠くでこもった音がした。
(あ゙おっ)
 聞き間違いだったのかと安心して、緑道を急いだ。間もなく自宅というあたりで、レゲエ風の髪型で赤いジャケットの男とすれ違った。男はすれ違いざま咳払いした。


 あ゙おっ。


 今度は振り返らなかった。確実にそう「鳴いた」からだ。足早に帰った。
 次の日の早朝に、ネズミを追った同じ場所を通ると、夕べ追いかけたネズミが死んでいた。