映画『CASSHERN』

カラーバランス失敗

のすごく面白かったです、あ、映画『CASSHERN』を観た感想です。感動して涙が出そうになりましたが、何とかがまんして、隣の人には気づかれずにすみました。でも逆隣りの人が、最後のウタダ歌ではげしく寝返りを打つようにグリングリン動いていたのは、おそらく感動の涙を僕に知られないようにごまかした動きだと思います。携帯メールしている人もいなかったし(気がつくわけがない)。いろんな評価を読んでいると、みんな、キリヤ監督にはものすごく期待していたことがわかる。みんなものすごく期待して、実は期待以上だったもんだから、「こんなに食わせられてゲップがでたぞォイ」って評価じゃないだろうか、違う。


画『CASSHERN』の評価が芳しくないのは、「どんなサービス業でもユーザーの声とか評判を反映して、もっと一般ウケのいいものを作っているのに、どうして映画だけが勝手に自由に作れるんだ?」という気分もあると思うんですが、映画がサービス業の一部だと思ってるから、自分を楽しませてくれないクリエーターはバカなんです。クソゲーといっしょです。でも快慶の木像を見て「わけワカンネ、このバカ!」って言っても無意味ですよね、だから、少ない仏教の知識とか歴史とかを総動員しながら、目の前のものを右とか左とか近くとか遠くとかから眺めてみるんじゃないでしょうか。まあ、それほど建設的な意見でもありませんが、できあがってから、そこに映っていないものを云々しても遅いから、せめて……、せめて、どういう映画を観たかったんだろうか、そういうところから、どうなんでしょうかね。
 画についてうっすら思うことは、締まった静止画像が多いということと、僕の記憶に残っているものと来年くらいにDVDを見た画に食い違いが少ないんじゃないだろうかということです。前者は、動画としては画面の密度が高すぎるかも知れないが、静止画として“使える”画は多いと思う。気に入った画が多い映画は後で見返すことが多い。おそらく来年の今ころは、「『CASSHERN』って去年だったんだー。もっと前かと思ってたよー」などと言いながらDVDを観ているんでしょうが、そこで後者です。記憶として残っている映画のDVDを後で見ると、展開の遅速や記憶に残るシーンの明度に「ああ違う」と思うことが多いのですが、『CASSHERN』ではあまり食い違わないような期待があります。楽しみです。


れ書いてから、本当にアクセス数というかリンク元の数が、どんどん増えていくんで、とりあえずなんだ、サブリミナル広告みたいに3行に一語ずつ「CASSHERN」とか「CASHERNS」とか「CANSERSH」とか、アナグラムに変形した単語をぽんぽん入れていくと、キャシャーンの映画の評価はよくないのに、収益はどんどん上がるのではないかと思います。それから、まだはてなid:CASSHERNが未使用のようです。