レミング現象

学校の時、レミングと呼ばれるネズミは特定の範囲内で繁殖し過ぎると、みずから海の中へ入って溺れ死んでゆくという話を読んで、「レミングって、なんてバカなんだろう」と僕は思った。それから約三十年の月日が経った。


勤の途中ふと思った。この通勤時、自転車と自動車の接触事故を目撃したら、僕はどうするだろう。おそらくいつも通り職場に向かうだろう、そう感じたからこの文章を書くことにした。目の前の他人の生死よりも自分の仕事の方が重要で、目の前の一、二人、あるいは四、五人を助けるよりは、自分の職場に関係するものすごく多くの人々に不利益を与えないように行動した方が、より己の社会的責任を全うするはずだし、全うすべきなのだ。などと自己弁護しながら、僕は目の前の人を見殺しにする。朝のラッシュは、左右も確認しないで道路を渡る歩行者、ブレーキがキーキーいう自転車、車の横を無理にすり抜けさもなければ歩道を走るバイク、寸前までブレーキを踏まない自動車、人が鯖寿司のようにみっちり詰まったバス、交差点を曲がりにくそうな大型輸送トラック、狭い道路で駐車し続ける工事用車輛、それぞれ自由自在に移動する時間帯では、わずかな不注意が大事故につながり、おそらく細かい事故は日常茶飯事、そもそも事故を起こす人は交通法規を無視したり、それを自分に都合よく曲解した結果が事故につながるのだから、言ってみれば自業自得だ。誰かの自業自得のために、僕の貴重な時間を費やすわけにはいかないし、費やす必要はない。それこそ、事故の責任についての自己責任が問われるだろう。だって、電車に飛び込み自殺したら、その電車が止まったことで被った損害を遺族が負担するらしいではないか。また、溺れている人を助けたが、結果として死なせてしまったら、助けようとした人が有罪に問われるらしいではないか。だとしたら他人を助けることは意味がない、むしろ助けることで人類全体に損害を及ぼすはずだ、無茶なことをする奴は自ら選んで勝手に死んでいくのだから、それを僕がが止める必要も権利もない……。


の考え方は、僕のレミング化の始まりに違いない。僕自身がまさにいま、レミングのように誰か知らない人といっしょに“海”へ飛び込みつつあるのだ。このように毎日じわじわと思考停止していき、反射神経や身体の動きが鈍って悪くなっていき、それは実は、もうすでに首まで“海”に浸かった状態で、ゆっくりと静かに死んでゆくだけなのかもしれない。“海”の中に沈んでから死ぬまでの時間は、過剰繁殖したレミングの目的からすれば無駄な時間だ。それを見て「レミングって、なんてバカなんだろう」っていう存在。