説明概念としてのリビドー
コンサイス20世紀思想辞典第2版によると、リビドーをざっと以下のように定義している。
「フロイトが精神現象を説明するために仮定した概念。性的欲動のエネルギー」
さらにフロイトは、リビドーが以下の4つの属性を持つと考えた。
- 一方が増えれば一方が減る。つまり、リビドーは量である。
- 母親へのリビドーが初恋の女性へと移動する。つまり、リビドーには浮遊性がある。
- 満足によって形成されたリビドーはいつまでも持続する。つまり、リビドーは粘着性をもつ。
- 満足されないリビドーは不安へと変質する。つまり、リビドーは変質する。
この4つの属性は、精神の一部に観察され得る状態として存在するものではなく、あくまで精神現象を解釈するために仮定された説明概念である。同時期に物理学の分野で提唱されたエネルギーもまた、運動状態を解釈するために仮定された説明概念であることを鑑みれば、フロイトは精神現象を、エネルギー(リビドー)の移動として捉えていたことがわかる。
ところで、固有名とそのイメージの関係には以下の4つの属性があると思う。
- その固有名に対するイメージは知識量に比例する。いわば、固有名とはイメージの量である。
- 固有名が述べられる時、固有名を述べている場所、固有名を語る個人によっては、特定同一の固有名に違うイメージが付与される場合がある。いわば、固有名のイメージは浮遊性を持つ。
- 特定のイメージは特定の固有名で名指される。いわば、固有名はイメージに対し粘着性をもつ。
- それぞれの時、場所、個人によって同一のイメージが違う固有名で呼ばれることにより、呼びかけられた側のその固有名のイメージが修正され得る。いわば、固有名のイメージは変質する。
以上4つの固有名とイメージ間の属性より、固有名とは、それが指す特定物を識別するためだけのものではなく、たとえば木村拓也という同名別人を見ると「なにアイツぜんっぜん違うじゃん、カツク」と言うことである。文章ちょっとヘンだが。
さらに、女性の容貌と表情との間には以下の4つの属性があると考えることができる。
- 容貌とは表情の量である。
- 容貌には表情による浮遊性がある。
- 容貌は表情に対して粘着性をもつ。
- 容貌は表情で変質する。
以上4つの属性は、相対的評価において美人であるとか、個人的な好みに一致するかどうか、あるいは一瞬見せた表情に左右されることを意味する。女性の顔に綜合的に発見され得る、投影された私の理想像がたえず運動し続けることを意味する。
また、ハイパーリンクには以下の4つの属性がある。
以上4つの属性は、webに内在するものではなく、webの基礎構造を支えるために導入されたフォーマットである。ハイパーリンクという“手続”なのである。
おまけに、バナナは以下の4つの属性を持つ。
- バナナとは量である。
- バナナには浮遊性がある。
- バナナは粘着性をもつ。
- バナナは変質する。
以上4つの属性とは、台湾やフィリピンで生産されたバナナを冷蔵庫に保管しておいても、すぐに腐って黒ずんでしまうことを意味する。
最後に、ミニスカ厚底ファッションについて考えてみる。ミニスカ厚底ファッションも、これまでと同様に、やはり4つの属性を想定することができる。
- ミニスカ厚底ファッションの量。
- ミニスカ厚底ファッションの浮遊性。
- ミニスカ厚底ファッションの粘着性。
- ミニスカ厚底ファッションの変質。
以上4つの属性が、具体的にどのような現象を指すのかは未だ明確ではないが、不安定に渋谷をさ迷い歩く様子、伝達性を無視したしゃべり方、美醜や装飾性や地域差という次元を一切持たないことなどについて、さらなる研究を待ちたいと思う。ただ、ミニスカ厚底ファッションを放っておくと、いつのまにか中も外も黒ずんで腐ってしまうという点でバナナと非常に類似しているため、私は以下の仮説を立てた。
【仮説】ミニスカ厚底ファッションはバナナである