テキストサンプル

  1. ひととおり全ての意見をよむと、発言者の年齢、職業のばらつきから、誰もが大学教育に対して多大な期待を寄せていることがわかる。200余りの意見それぞれに含まれる、冗長な箇所や言葉足らずな箇所を棄捨補足し、その要約を薄目で眺めてみると、気になる点が3つほどでてきた。 以下、「“学力”という問題点」「論理性」「大学生に小中高の基礎を教えること」の3点について、順をおって述べる。
     最初に、参考記事で問題とされている「学力低下」とは、大学教育が前提としている小中高校での知識が、ある科目についてまったく欠け落ちた学生がいることを指している。 それがとくに大学教育で必修と定める科目に関して現われており、あたかもその学生が入試を「うまくすり抜けて」きたかのような印象を与えている。 ほんらいこの場で議論されるべきは、そのような学生がきちんと不合格となるような入試制度を検討することのみである。 そのていどの「学力低下」問題を、学力とは大学卒業時の学識である云々とか、抽象的な学力の基準というものが存在しそれこそが現在問われているのだ、などとする論点がたびたび見受けられるが、これは「学力低下」の前提条件が、自明な、架空のものとすりかわっているところから生じる。
     なぜそのようなすりかえが起こりうるのか。 さらに注意深く各意見を吟味してゆくと、大学の「学力低下」問題が拡大解釈され(つまり括弧に入れた語句が増えて)、まったく別なテーマとして曲解されていることがわかる。 たとえばこんな具合に。

    「最上最良の学問がどこかにあって、それは大学で実現されるべきなのだ。 外国(日本以外)の大学ではすでに最上最良の教育をしているらしい」

     ほとんどの投稿は、このような拡大解釈(増えた語句)の是非を巡って議論、提案がなされている。 個々の意見よりキーワードを抜き出してみると、ほとんどが以下の論調のいずれかに吸収された。曰く、
    『もっと競争を激化すれば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『卒業を厳しくすれば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『欧米を見習えば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『高校までの受験教育をやめれば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『制度を変えてまで【大学は最上最良の学府たりうる】必要はない』
    『実際勉強していないんだから【大学は最上最良の学府たりうる】はずがない』
    『進学の目的を明確にすれば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『【大学は最上最良の学府たりうる】べきだから、全科目学ぶべし』
    『【大学は最上最良の学府たりうる】はずなのに、高校のときのように親切に教えてくれない』
    『しっかり入試を行えば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『【大学は最上最良の学府たりうる】が、学力は不要だ』
    『学費を無料にすれば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『思考力をつければ【大学は最上最良の学府たりうる】』
    自己実現の手段と考えれば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『果てしなく自由を尊重すれば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『本を読んでさえいれば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『授業がつまらないから【大学は最上最良の学府たりうる】とは思えない』
    『大学数、入学定員を減らせば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『高校までと根本的に違うことを知れば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『【大学は最上最良の学府たりうる】とは言えないので、さらに大学院へ』
    『受動的学生が多く、これでは【大学は最上最良の学府たりうる】とは言えない』
    『文部省、行政機関がしっかり考えれば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『もっと詰め込めば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『基礎をしっかり学んでいれば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『研究に重点を置けば【大学は最上最良の学府たりうる】』
    『【大学は最上最良の学府たりうる】が、それはそれ、独学の偉人もいる』
    『【大学は最上最良の学府たりうる】よりも、まず社会のモラルを何とかするのが先だろ?』
     ……等いつまでも続けることができる。 たとえば「まずその学力低下の基準を明確にすべきだ」といった問題意識は、すでに提起されている「〜として現われている学力低下について」という前提を完全に無視したものである。 どうして完全に無視できるかというと、曲解されたテーマがすでにあったとしか言いようがなく、「その学力低下」が字面だけの共通性しか持たないからである。
     これらの論調に不足しているのは、冷静な現状分析である。 分析のない議論とは、あたかも、己の影に向かってやみくもに吠えている犬と同じ状態であると言わざるを得ない。 実際、入念に分析展開された意見が一部にあるのにもかかわらず、それに吠えかけることができず、論点を逸脱した意見を述べることは、影と実在の区別ができていないことなのだ。 少なくとも、その影が自分のもの(自分で勝手に設定した問題)であるのかどうかが問われるべきだ。 そこで初めて、自分が何に向かって吠えるべきなのかを、冷静に見極めることができる。
     次に、算数と論理的思考がどのように関連するかというと、算数とは表現形式を記憶することではなく、その技術を会得することであり、それによって思考を効率良く鍛える面がある点を指摘すれば十分であろう。 論理的思考を抽象化してダイエットさせると、最後には数学基礎論という骨子へと到達せざるを得ない。 「なんでそこへ到達しなきゃならないの?」とさらに問うことは、その疑問そのものが論理整合性、遡行的抽象化、体系的帰納方法に起因するものであり、ゆえに「算数の考え方」と「論理的思考」が無自覚なほどに不即不離であったということに過ぎない。 つまり、「算数の考え方」とは、あらゆる局面において必ず現れる、普遍的な技術であることを意味する。 算数を知らないということは、論理性のあるなし云々というよりも、自己の論理性について無自覚であるということで、それは「相手に何かを伝える際、飛躍した論理を説明(理解)する技術を持たない」という問題点を含意する。 つまり、算数の危機とは、コミュニケーションの危機なのである。 「たかが算数で、なにをおおげさな」と思うかも知れない。 その「たかが」が、あるコミュニケーションを阻む危機そのものなのだ。 蛇足をいえば、論理性、普遍性は、それのみで中空に浮いているものではなく、使用する言語に内在している。
     最後に、参考記事で毎日新聞記者が例示している分数計算については、計算ができないことが問題ではなく(昔もそういう大学生はいた)、知らないとそこで“停止”してしまうという点にある。 分数計算ていどであれば、知らなければその計算方法を適当にでっち上げてしまえとも思うし、「知らない」ことこそが、自ら学ぼうという意志の出発点のはずである。 しかし、計算を「知らない」学生にとってはそれが終着点であり、そこでピタッと“停止”するらしい。 自ら思考し行動しない大学生に対し、あわてて補講で対処する教員。 これは、時間や金(時には税金)の無駄遣いということよりも、今年度の新入生を壊れ易いロボットとみなし、それを修理しようと悪戦苦闘する技術者、として私には映る。 「補講けっこうじゃないか」と考える人にはぜひ、高校以前の基礎を大学で教えることが、大学制そのものを否定しているばかりではなく、その個人の12年余りの学校生活をすべて否定している可能性を検討するべきだ。
     蛇足ながら、参考記事にて「学力低下」の対象にされていると思われる、1999年度(平成11年度)大学入学者というみなし母集団からの意見、反論が一つもないという「ドーナツ状態」が気になる(18歳の高校生はいるが)。 そのドーナツ状態が、「学力低下」を逆方向から照射していることを示している、といった“読み”も考えられぬでもない。 だからといって、「年ごとに学生が(あけすけに言うと)バカになっている」ような印象しか残らない参考記事のみで議論させる毎日新聞の姿勢は、無謀としか言いようがなく、また、思慮なく発信できる技術にかこつけて単なる思いつきを書きなぐったり、意見ですらない日記文を送りつけたり、欧米を無条件で礼賛したり、あまつさえまとめて文部省に提出すべしといった暴論を、私は無視することができない。
     「学力低下」問題が、すぐ目の前に置かれた鏡だとすると、それについて言論する側も対象となる側も、すべての人が向き合わざるを得ない自己の姿を映しだす問題のようにも思え、そこに生ずる「ドーナツ状態」とは、むしろ冷静で積極的な意志の表明と言えるのではないだろうか?



  2. ボクはあわてて服を脱ぎ、ボクは全裸でベッドの端に座る。
     ボクの服をたたみ終える女性は、みて見ぬふりをしながら、ボクの下半身へバスタオルをおき、たたんだボクの服の上にボクの帽子をおく。 「若い人久しぶり。帽子も」と女性は、ボクの目の前で、パールホワイトのワンピースとフローラルブルーのブラジャーとパンティを一枚ずつ脱いでゆき、右足首にシルバーのアンクレットのみをまとった、つまりは全裸となる。 女性の骨っぽい手とは対照的な、ボリュームのある体。 乳首はむしろ上を向いているが、相変わらず年齢はわからない。
     ボクは少し落ち着きをなくし、ボクのバスタオルの縫い目を指先で確かめる。 「ほつれが少なく、よい生地を使用。機械縫いと手縫いを使いわけ。脱水は軽目に陰干」と日記へ。 僕は、今すぐにでも女性のおっぱいの硬さを確かめたかった。 「なんてことを!」
     女性はボクの前の床にしゃがむと、ボクのバスタオルを取る。 「タオル取っていい?」 その一言で、僕は一瞬で元気になった。 女性からみると、ボクがこの部屋へ入るずっと前から、ボクのおちんちんはずっと勃起し続けていたと考える。 日記では、「目と手と口と舌とおっぱいと呼吸と(滲んで読めず)とおまんことおちんちんと鼻と声だけを残し、背後と内臓と脳みそを削除したのち再起動」と読めた。
     「わあ」と女性は長いまつげを二度しばたかせ、明るい顔でボクを見あげる。 「おちんちんとっても大きいのね。うん、あなたのおっきい。よく言われない?」と右手でボクのおちんちんを軽く握る。 「右手は僕から見て左側」と日記に書いた。 女性の爪は長く、スカイブルーのマニキュアが塗ってある。
      ボクは、女性の右手にしだいに力が入っていき、ボクのおちんちんに青い爪が食い込み、さらにボクのおちんちんが爪のスカイブルーに変色するのを見る。 「比べたことはないけど」僕は実際なんと言えばよいのかわからなかったし、ボクのおちんちんは改めて見るとけっこう濃い色がツヤツヤしてて、やがてボクの肛門の前寄りから、ボクの塊がずんんんんんと登ってくる。 「男どうしでは、勃起させたりしないから」
     「それもそうね」言うなり女性はボクのおちんちんを、っるんと咥え、すぐに口から出して、目だけでボクを見上げる。 「咥えてもいい?」口端から細く線が伸びている。 「よだれだ」と僕は言った。 「日記に書くかい?」
     ボクが「どうぞ」と言う前に、ふたたび女性はボクのおちんちんを根元まで深く口に押し入れ、頭を大きく前後に動かしはじめる。 と思うと、また口から、れ、と出して僕を見た。 「おちんちんどこ感じる」女性のパールブルーのアイラインが少し吊りあがり、さらに唇の赤みが増す。
     「先、かな?」とボクが言うのを待たずに、女性はボクのおちんちんを、今度は先だけ咥え、頭を横に振ったりぐるんぐると激しく回しながら、徐々に陰圧と唾液を加える。 「本当に先だけ」と僕は呟いた。 「口でバタフライを泳いでいる」「ロケンロー」
     女性の髪の毛が、ボクの陰毛に触れる。 頭を回すたびに、ボクのへそやボクのふとももにも触れる。 ボクのおちんちんそのものは、むしろ女性の髪の毛の中にいて、その被害をまぬがれる。 「茶髪、脱色、メッシュ、ピアス、シルバーに赤い点、赤はルビー、赤は血」と日記に書いた。
     「ねえねえね、ほらほら」と女性は、ボクのおちんちんを舌先で探る。 握った右手を細かく上下する。 その握り方は、あいかわらず力を入れていないようで、小指はしっかりとボクの根元に巻きついている。
     ボクのおちんちんはベッドに根を張る。 女性が小指に、きゅ、と力を入れるたびに、僕はどんどん深く根を伸ばした。 ボクのどんよりした塊を、さらに空中たかく持ち上げる。 「その根元を締める握り方」と僕。
     「ねえおっきいよ。それに、ほらぜんぜん。わあ入るかなぁ」と女性はまたボクのおちんちんを吸いこむ。 ワンストロークで女性の口から出てきたボクのおちんちんには、黒いコンドームが被さっている。 「わざわざ口で?」「サービスの一環じゃないのか」「サービスって何よ」「陰毛に毛が生えたていどで」 「上がいい?」「下がいい」と、女性は(たぶん)生涯最高の笑顔を見せながら、ベッドの上へ乗りあがる。
     せっかく力づよく伸びた僕の根を、ボクはすべて引っこぬく。「前歯は二本とも刺し歯(スマイル)」と、あくまでも冷静を努めて僕は日記に記した。



  3. 「こんなところでなにを…。なんだ北島か。どうだ、稽古は順調か」 「ああ、速見さん…。あたし、わからないんです」 「マヤ、おれはおまえの言うことはなんでも聞く。さあ、言うんだ」 「実は、月影先生があたしに稽古をつけてくれるのはいいんだけどだんだん厳しくなってきてあたしマッチを演じることになったんですそう3人組の一人ではなくてボッと火が点くマッチでその役作りのために滝に打たれていたら月影先生にマヤあなたの演技はしろうと以前ですってものすごく怒られてあたしが気付いたことはマッチが滝に打たれるのは自己否定なんだって源一郎はもちろん役作りの参考にしたけどあたしあんなに文学的じゃないしそもそも演技に感動がないわあたしはあれ以上のあたしのマッチを演じるつもりあああたしのマッチはどここれってもしかしてタカハシさんの小説を読まずに書いているんじゃないこの前は今にもべそをかきそうな脱構築を演じてみたんだけど月影先生は形式化がなっていませんとおっしゃるのあたしはすでにウィトゲンシュタインデリダフーコーも柄谷もラカンスピノザも浅田も念のためガタリも読破して一ヶ月ほど山の中で暮らした末にポストになったのいいえ違うわ赤じゃなくて緑のポストよでもそれはきっとただのモダンなポストなのねああ緑ってなに色なのかしら月影先生は違うことも言ってたわマヤあなたには生活臭がありませんねってでも生活臭ってお風呂に入らないことかしらそれともトイレでお尻を拭かないことなのかしら亜弓さんは素敵なお父様とお母様がいてきっと毎日お風呂へ入っているのねそれにくらべてあたしにはあなたには大衆がついているのよ体臭いいえ大衆よ大衆って誰ですか教えてください月影先生マヤなんど言ったらわかるのですそのセリフは角ゴシック256ポイントの大きさで言わなければ観客を納得させることはできません先生だめですあたしにこんな役無理ですさあマヤもう一度やってごらんなさい今の演技を説明してみなさい説明せつめいどうしてせせ説明が必要なんですかあたしの演技はみんなを感動させるわそれで十分だと思うしあたしここで説明するほど親切じゃありませんなぜなら亜弓さんより才能がないのだから違いますマヤよくお読みなさいあなたから演技をとったら才能しか残らないんですよどんな役を与えられても観客を感動させることしかできないのです演技はともかく才能がなければあたしは紅天女には決してなれないって…」 「北島、おまえの言ったことはちゃんと聞いた。今日は遅いから、さあ、もう帰るんだ」



  4. われわれは、自分が好きだと言った人だけから好かれたいという凡庸さを、消極的に認める。