坂本龍一『CHASM』


『CHASM』ASIN:B00015BL2K


宅の外を車が走る低い音が聞こえる。道路が湿っているようなタイヤの音が静かに響く。エアコンが暖かい空気を少し吐く。僕は坂本龍一の『CHASM』を流しながら、お湯を流して洗いものをする。「undercooled」のラップを聞いていると、ところどころ日本語が聞こたような瞬間があって、そのつど僕は洗いものの手を止めしばらく耳をそばだて意味を取ろうとする。でもわからないので、すぐに洗いものは継続される。洗濯物をたたみ所定の場所へかたづける。そして奥さんが帰ってくるまでのしばしの間、少しお酒を舐めながら、今日の夕刊を読む。新聞をめくる音を聞く。ノイズ、そしてデビィッド・シルビアンを聞く。
 ふと、『iPodの使い方』といったタイトルのムックを立ち読みしたことを思い出した。iPodに合うヘッドフォンの説明の一つとして、「密閉型インナーイアホンは、安価な割に音質が良いが、足音を拾ってしまう」とあった。まてよ、と思う。そこで足音を拾うのはイアホンではなく、むしろ耳そのものではないのだろうか。イアホンが足音をノイズとして拾うのではなく、足の振動が骨を伝って耳へ響くのではないだろうか。iPodで、言ってみれば電気的に劣化させた音を聞いているのに、いまさら足音が気になるなんて、音がイイっていうことそのものがよく分からない。


いCDプレイヤーでいいヘッドフォンを使えばいくらでもどこでもいい音を聞くことができる。じゃあ、いちばん音が劣化したってどんな状態だろうと考えてみる。それはMDフォーマットでもMP3圧縮でもなく、“鼻歌”だ。音とびはするし、モノフォニックだし、曲によってはサビのみを延々ループさせ続けるし、でも知らない曲や市販されていない曲をなんとなく再生できる場合もある。ほとんどの鼻歌は、第三者がそれを聞いて元の楽曲を想起できないほど音質が劣化、音列が変形していると言えよう。とはいえ、音がイイってことはいっこうに判然としない。


「9年ぶりのオリジナル・ポップ・アルバム!!」が含意するポップとは、僕の解釈では、より人口に膾炙するよう志向することだから、いわゆるポップミュージックを含みつつさらに広く、広告表現などのポップアート全般として捉えていて、これを平たく表現するとなぜか複製可能性をより高めるベシという要請に他ならない。ポップってのは複製されてなんぼなのだ。しかしながら、これは単純なコピー礼賛とはならずに、まず、複製し得る素材が廉価で、複製し易い環境が整い、そもそも複製する意欲を掻き立てられる対象であるということだ。CMでよく流れている曲をいつの間にか鼻歌っていたり、CD屋さんでたくさん並べられていたのでなんとなく買ってみたり、でもCCCDは敬遠してみたり、iPodを購入したので入るだけ録音したけど聞くのはそのうち30曲程度でそれがひとりのアーティストだったり、てな具合にいろんな敷居が低くひくく設定されていて、その最たる理由がみんなが聞いてるらしいってことなのだ。
 つまり、教授の新譜をみんなが聞いているから、私も毎日聞いていて、その結果としてポップと称するわけ。