直進歩行

はここ最近、対向の歩行者に頻繁にぶつかり、後方からの自転車に驚かされるから、私の歩き方に問題がないかどうか、まず自分が歩いた二つの経路を観察する。
 一つ目は、歩行者の少ない時間帯の緑道。私は昭和時代の小学校にて、進行方向約15mくらいを見ながら歩くべしと習った。14m先に犬の糞があるので私はこれを避けた。オレンジ色のドロドロが直径50cmくらいに拡がっていた(おそらく新年ゲロだ)からこれも回避。猫を見かけたので、礼儀として近寄りしゃがんで指を地面近くでひらひらさせながらチッチッと呼ぶ。犬糞避ける。猫糞避ける。大便避ける。赤い花が咲いていたので写メール。パチスロの前に十人くらいの若者が魚河岸のマグロ状に横たわっていたその頭の近くでストリート系無職タイプ5名がかわりばんこにタバコの投げ捨てを敢行し唾液を滴下しまだ中身が入った空缶を路上に配置し口を半開きのまま「うだっぽイェ」とか「つづーヱ」とか「うずえろ」とか「おぶあ、てかん」などと音声を発しているいかにも不穏な場を慎重に回避する。
 二つ目は、日比谷線のホームを端から全体の3分の2くらい。私は、われ先に乗り込むオバサンを回避し乗換えに間に合うように階段を飛ぶ高校生を回避し駅の出口へ急ぐおじさんを回避し浅く座った椅子から投げ出された若者の足を回避し電車から吐き出された途端に全力疾走するリーマン群を巧みに回避する。


ずれのけいろとも、しきいし、がーどれーるなどのきゃっかんてきめじるしによっておのれのほこうじょうたいをかえりみれば、だこう、とおまわり、じぐざぐ、ほうこうてんかんをよぎなくされちっともちょくしんするけはいがない。しゅかんてきには、かいひうんどうはおのれのしぜんにしたがいいどうするかぎりはつねにちょくせんうんどうとなる。それはあたかも、こうせいのまわりをまわるわくせいのしゅうかいきどうを、じゅうりょくばのなかで“ちょくしん”するとみなすがごとく。どうろのしきいしはにゅーとんりきがくにおけるひかりのちょくしんせいだとすれば、そのきじゅんのもとではわたしはふあんていにだこうしながらいどうしているが、あいんしゅたいんのかんがえかたでは、ばのえいきょうかでさいたんけいろをとることが“ちょくしん”となる。


らがなで言いたいことは、重力場の話ではなく、歩く経路をより直線化すれば、自分の労力を最小にしつつ障害物を回避しながら目的の場所へ到達できるに違いないという、典型的なMinMax理論の導出なのであるが、ここでは詳述しない。


はまっつぐ見据えてひたすら歩みたいと思いつつ、ヘッドフォンの装着具合が気になったり忘れ物がないか心配したり危険を事前に察知しようと必要以上に前後左右をキョロキョロ見たり思いつきを忘れぬよう手の甲にメモったりして、実際は別なことを行いながらそのついでに歩いているような次第だ。