誰に謝るのか

こ最近は年度末進行で仕事も忙しくなり、また携帯電話で写真を撮ることにも熱中しているので、なかなかはてなが更新できません、などという具合の“謝り文”を見かける。実例のごくごく一部を挙げると『更新さぼっててすいません』という感じ。なんだか今日はサボってしまった、ごめんなさい、謝れば誰かが許してくれる、その誰かは、特定の誰かなんだろうと思う。同様な“謝り文”は「どこかでだれかがダイアリー」をハードクリックさせることによりたくさん採取できる。


“謝り文”そのものの機能としては、読んだ人に対して謝っているのだから、読んだ人がその謝罪を真摯に受け止めて、日記、あるいはブログ作者の深い陳謝に対して静かな理解を示しつつリンクをクリックすればよいのだ。また、“謝り文”を読んでいない人にとっては、謝罪は謝罪として機能しないから、そもそも問題は生じない。問題を共有する場が存在しない、問題となるべき意識の指向性が発散し続ける。いい具合に文章が乱れてきた。
 しかし、この“謝り文”を見かけると、私はむやみにムカつく。コメント欄があったらネチネチいじめたくなる。何? 誰に言ってんの? 何誤ってんの? 書きたくなかったら書かなきゃいいじゃん、書きたかったら書きたいこと書けばいいじゃん! そんなにてめえぇのサイトを毎日々々見ている奴なんかいないし、見ている奴はヲタばっかだYO! 何も謝らなくてもいいじゃない、誰しも一日二日はwebにつながらない日ってあるっしょ、俺なんか一週間くらいつないでないYO、ここ? ここはどうやって書いているかというと、職場からだよ、ああ、デモでも、職場から更新しても、気分的には仕事の一部だから、サイトを纏め上げているっている実感に乏しいんだなあ。そうじゃないか? おまわりさんが立ちションしていたら、それもまた公務だと思うだろう? 職場で遊んでいてもなんだか自然仕事につながっていることをしているような気がして、遊んでいるのに仕事をしているような気になるだろ、だから、いつの間にかはてなを眺めることが仕事になっちゃったりするんだ、そうして残業とかタクシー代とかいろいろ申請する技術を、サラリーマンは日夜磨いているんだよなぁ。あああ、そういえば今日も、サイトがうまく更新できなかったなあ、今週の土曜日には何とか新しいネタをうpするんでそのときはよろしく。